昭和51年10月31日 朝の御理解
御理解 第81節
「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ。」
信心を本当に頂くと言う事だと思いますね。頂き信心が中絶したり頂いたおかげを落としたり、と言った様な事のない信心。いわゆる安心向こうへ降りたら安心じゃと。向こうへ降りたら安心じゃと言う程しの信心は、どこまでの事を言うのだろう。もう十年お日参りを続けておる。二十年例えば続けておると、と言う事だけではないと思うですね。言うなら神様がもうあの氏子は大丈夫と、思うて下さる程しの信心を言うのだと思うです。
もう自分はここまで信心を進めて来たしここまで頂いた。言うなら九里半の所まで信心は来ておるんだから、もう自分は大丈夫だと思うておると気を緩める事になって、そこから又後戻りをする事になってしまう。信心ちゃ有り難い有り難いと言うておっても、どこまで有り難いと言うかと言う事をです、身につけていかなければならない。
昨夜青年会の方達が会合をしておりましたが、今度大会を開く為のいろいろな、話合いやら準備があっておる。私はこれを見せて頂いて、こんなに素晴らしい大会の案内ですかね出来ておる。こんな素晴らしい垢ぬけした案内が、しかも若々しい青年に相応しい、こういう大会のまぁ趣旨とか、その内容をこういうこんな風で開きたいというのが出来て来ております。もう婦人大会やら壮年部会があったけど何か垢ぬけせん。こんなに素晴らしい垢ぬけしてる。内容も素晴らしく垢ぬけしておる。
4Sですかねこれも素晴らしいタイトルです。4つのエスと言う4S活動とはスマ-トにスマイル持って、スクラム組んでシャ-プに行こうとこういうのです。縁につながる合楽の成年男女の心にふれあいを求めて、青年会員としての自覚を持とう。未知の可能性を秘めた青年のエネルギ-を持って、神願成就を貫こうと言った様な大会目的。ご案内。「あなたは今捜していませんか。生きる目的を。あなたは今巡り会いたいと思いませんか。価値ある人生へ導いてくれる師を」。師ということは師匠の師ですね。
「あなたは今求めていませんか。心の友を。私達はあなたに私達の人生を変え、生きる永遠の目的を与えてくれる師に会って欲しいと思います。生きた神の働きが充満している教会へ集い、あなたと共に語り共に手を取り合って行きたいと思います。合楽教会では開教以来九年間、親先生の神力無限の神徳によって助かる氏子は年ごとに増え、いまや九州の聖地としてその御比礼を輝かしています。小さな種からたくましい大木が育つように、日々のわずかな喜びが萌え広がって、世界全人類の和賀心を生み出します。
喜びの種を蒔きさえすれば、どんな極暑にも極寒にも喜びの花は咲きます。どんな危機に満ちた地球であろうと、和賀心の種を蒔き、神と人とが楽しみ会う喜びに満ちた地球に変える事が出来るのは、青年の燃えたぎる情熱です。熱気溢れる青年男女の皆さん。第九回青年大会に集まろうではありませんか。和賀心の種を蒔き、まず伊万里市に蒔き育てんとその政治理念を掲げて、日夜精勤されている伊万里市長、竹内通教氏の講話は、必ずやあなたの魂を揺さぶらずにはおれないでありましょう」と。
言う様な事がこれに書いてあります。昨夜私はこれを読ませて頂いて、素晴らしい青年会が発展を遂げていくことであろうと、ま念じさせて頂いた訳でありますが、この「和賀心の種を蒔こう」と言うのは、ならどういうことだろうか。しかも蒔いたら生えなければならん。芽をきらなければならん。そしてそれが開花そして実りというおかげに繋がっていかなければならんです。「それにはスマ-トに、スマイル持って、スクラム組んで、シャ-プに行く」信心。
私は思うのに今日のこの八十一節という御理解を頂いて、いよいよおかげの頂けれる、言わば広がりに広がっていく第一歩と、いうのがこの八十一節だと思うです。八の字にプラスして一と書いてあるから、私はそんな風に感じたんです。八十一と言う事から。広がりに広がっていく、それにいよいよプラスしていく、その第一歩がですね、九里半登ったというのでは安心はでけん。それを登りきって向こうへ降りたらと言う様な信心。そういう信心の種でなからなければならない。
それにはやはり青年が持つような信心の熱情を持たなければならない。途中で言わば苦しいと言うてへこたれると言った様な事であってはならない。昨日研修をここで致します時に、何の事からだったでしょうか。あのう信心が言わば進むに従っておかげも変わってくる。例えば私共が一家中、履物を買わないという修行をさせて頂いておる、いよいよ履き切ってしまいましたら履物がない。神様は下駄を拾う事を教えられた。長浜町から荒戸まで歩いて毎朝参ります。
昼福岡市内をあっちこっち、神様のお言葉通り歩いて回ります。それでその下駄が落ちとると言うて一足落ちとると言う様な事は絶対ありません。もう擦り切れたようなのが片一方。片一方は割れとる。そういうのを私は拾い集めました。家内がそれをきれいに洗います。そして貯めておる。石炭箱に二杯ぐらいたまっとりました。それを都合よう合うのがやっぱある。それに練り緒を立てて、私の方の長女の豊美は、当時大名校へ行っておりましたが、練り緒の下駄を履いていきました。
私が拾いました拾った履物を、家内が綺麗に洗って、そしてそれをちょうど都合よかのと一足にして。その時分の事を思うて、その時分の事がもう、下駄まで拾うて歩かんならん事に、どうした難儀な事だろうかとかは、一遍も思わなかったように思うです。私はこの事を、家内に一遍あの時分の、まぁ言うならば、あのう思い出とでもいうか、「お前は、あの時どんな気色じゃったか。」ということをいっぺん聞いてみろうと、昨日から思っております。
子供たちが子供たちがと言うが、長女がまだ小学校の一年生をあちらでいったんですけどね。そこにひとっつも情けないとか、苦しいとかと思わなかったように思うです。もうそれが有り難うして有り難うしてという方が強かったようです。ちょうど名前はちょっと失念しましたけれども、そこひでいわゆるもう目が見えなくなるという寸前に、今言う当時私のところへ尋ねて来た方がありまして、ちょうどその時はいきのは、私が神様からいろいろとお知らせを頂く、一番始めの頃のまぁ思わせを頂いたり。
それからあのうこうして机の前でお話をしておると、まぁいろいろなあのうこの手をこうして衝いておりますとね。例えば小指がこう動くんです。そすと何かそのう三角関係とかね、言わば恋人のなんかと言った様なお届けがあるんです。そういうことで参ってくる。薬指が動くと病人です。真ん中のこれが動くと、本当の信心を求めてと言った様なね、人差し指それを私は忘れてしまったんです。あの時分の事を。
けれどもそう言う様な事が始まりだったんです。人の精進が動くと人間関係の悩みと言った様な事でした。しかもこうやってお話しておると、病気なんかの場合なんか、この指がね動くんです。(トントントントン、机を叩かれる)こうやってね。五十なら五十なると五十日の日を切ってと言う様な、その時分の話を昨日、そげな話を親先生初めて聞きましたと、皆んなが申しまして、そうじゃったかなぁと言うて。
私も改めてその時分の事を思うたんですけれども、その方が元履物屋さんをしとんなさいました。そして店じまいをしてしもうて、その五十日目に眼が殆どあのう清眼に近いおかげを頂かれて。お礼参拝をしてきた時に、こんな大きな風呂敷包みに一杯、履物を子供家内私の履くような履物を一杯、あのうお供えをお供えと言うが持って来て下さいました。それ以来私は履物を買うた事がないです。一家中が。
ですからその一番最後に拾いましたのは、私の殆ど新しい履物が一足でした。誰かここに置いてあるとじゃろうと、高い塀の下に置いてありますもん。だから置いてあるとと思いよった。だから拾うてあるとなら持って来たっちゃよかばってん、置いてあるとを持ってくると行かんと思うて。それからまた明くる日に通りましたら、また明くる日もそこにちゃんと置いてあります。
ほうこれはおてとるとばいなと思うて、やや新しい初めて革緒によく似たレザ-の緒のついた下駄。その次にまぁ今こっぱげたような下駄じゃあるけれども、新しい下駄を家内、子供達のまで頂いた。それ以来履物古い言わば履物を拾うて回るということもなかったし、もちろん買う事もなかったが、そういう時代の話をさせて頂いて、私の過去というか、信心のそういう時代時代の事を思うて見るとね。
どういう例えば修行をさせて頂く時でも、ひとっつもそれが苦になったという事がなかったように思うし、家内もあの時分お前はどうじゃったかと、一遍私は改めて聞いてみようと思うんですけれども。家内も「ほんに情けないことじゃあるですね、こげなその拾うて来た下駄どん履かなならん」なんてんて言うたり、表情にでも出したりした事が一遍も無かったように思います。
私は今日皆さんに聞いて頂きたいのはね、和賀心というのはそう言う心だと思います。そういう心ならです、もう必ず蒔けば生えるでしょう。必ず芽を切るでしょう。必ず花が咲くでしょう。必ず実りになるでしょう。ただ信心をとにかく有り難うして応えん様に言うておっても、すとっと有り難くなくなったり、難儀な事になるともうそれで手を放したり、そういう心では私はいくら蒔いても、本当な物は生えないと思うです。
またそういう信心を私は九里半登って、もう一つ向こうの方へ降りた時の、私は信心というのはです、苦しい事を通り越えてと言うのではなくて、その苦しい事と普通で言うならば、何と情けない話じゃろうかと言う事の中にでも、それを苦にしない心。それが私は和賀心だと思うです。そういう心が出来た時八十一節。もういよいよおかげからおかげの花が咲いていく、いよいよおかげの実りになる、言わば八十一節。それが本当のおかげの第一歩だ。
そこまでは信心を極めていかなければいけないと言う事だと思います。ほんに情けない情けない、苦しい苦しいで、例えばおかげを頂く世界に出ましても、それは案外もろいです。自分が通っておる自分が今持っておる、抱えておる難儀なら難儀という問題を、難儀と感じんですむ信心。それをおかげと頂けれる心を私は和賀心だと思う。そういうところから生まれてくるところの種であって、いわゆる本当の芽を切るおかげになってくる。そういう信心を私は九里半。
だから今一番苦しい時に苦しいと感じる時にです、もう九里半は登ったも同然ですから、そのもう一つ向こうの方に。今日のこれに例えば極寒であろうが、極暑であろうが花は咲きますと言う様な事が、これに書いてありましたけれども、どんなに極寒極暑と言う様な中にあっても、喜びの花が咲きます。と言う信心を私は和賀心だと思うし。そういう心が開けた時初めて、向こうへ降りたら安心じゃと言うことになると思います。
どうぞ。
今私は思い出したけど、そこひで五十日間の日を切ってお願いをした方はね、和田さんという方でした。あのぅ桜井先生あたりは知っ取られると思うです。和田さん。知らんの。福岡の教会に当時参っておられました。もう眼が手探りしなけりゃ分からん位なっちゃった。和田さんと。
この後別の日のご理解がテープに残っている。